令和3年1月9日(土)  目次へ  前回に戻る

オオカミのような強い心があれば、「わたしにはできません」と言い切れるのだろうが。

北陸はすごい雪らしいです。この様子だと、火曜日はツラくなりそうです。寒いだけでなく、シゴトがツラく、できないことをするのはできないから今から困っています。心がシバれるぜ。しかし明日明後日は休みだと思うと心が温まってくる。うっしっし。

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琴は七弦、阮咸(琵琶に似た楽器)は四弦だったのですが、宋の至道元年(995)に、宮中において新しい型式が製作され、

〇琴は九弦。各弦の名は、曰く、君弦、臣弦、文弦、武弦、礼弦、楽弦、正弦、民弦、心弦。

〇阮咸は五弦。各弦の名は、曰く、金弦、木弦、水弦、火弦、土弦。

と定められた。

これに対して、宮廷の内外から、新しい歌詞と曲が数十首も献上されてきた。

因命待詔朱文済、蔡裔齎琴阮詣中書弾新声、詔宰相以下皆聴。

因りて待詔の朱文済、蔡裔に琴阮を齎たせ、中書に詣りて新声を弾じ、宰相以下に詔してみなに聴かせんとす。

そこで、待詔の朱文済と蔡裔にこの新型の琴と阮咸を持たせて、内閣に当たる中書省に行かせて新しい曲を弾かせ、宰相以下の官僚たちにも演奏を聴かせるよう、皇帝のご指示が下った。

「待詔」は、宮中に待機して皇帝からの「詔」を待っている技芸官(絵師や書家や文章家もいます)の職名。以下、かっこよく「顧問楽師」と訳します。

ところで、実は、先に、新しい型式の楽器を作ろうという提案があったとき、二人の顧問楽師のうち、次席の蔡裔は賛成したが、首席楽師の朱文済は反対であった。

新しい楽器ができ、皇帝は二人を召して試みに弾かせようしたが、

文済撫之、辞以不能。帝怒、面賜裔緋衣。

文済これを撫し、辞するに能わざるを以てす。帝怒り、裔に緋衣を面賜す。

文済は新型を調律してみて、やがて、

「わたしには無理でございます」

と言って、新型の演奏を辞退した。

「ばかもの!」

時の太宗皇帝はお怒りになり、二人の目の前で、蔡裔の方に首席楽師の着る赤い服を賜与したのである。

文済独衣緑。欲以此激文済、終守前説。

文済独り衣緑なり。これを以て文済を激せんとするも、ついに前説を守る。

文済の方だけは緑色の服であった。皇帝はこれによって文済に新型楽器に挑む意欲を持たせようとしたのであったが、とうとう彼は自分の考えを変えなかった。

さて、

中使押送中書。

中使、中書に押送す。

係の宦官が、中書省まで無理やり朱文済・蔡裔の二人を案内し、新しい楽器を持って行った。

文済も蔡裔も盲目なんです。

まず蔡裔が新しい阮咸で献上されてきた中から一曲を選んで演奏した。

続いて、

文済取琴中七弦撫之。

文済、琴中の七弦を取りてこれを撫す。

文済は、(九弦の)琴のうち、七弦だけを触って調弦した。

宰相は剛直を以て聞こえた寇準であった。

問曰、新曲何名。

問いて曰く、「新曲何の名ぞや」。

質問した。

「いったい、なんという名前の新曲を演奏されますのかな?」

文済は答えた。

古曲風入松也。

古曲「風、松に入る」なり。

「(新曲ではなく)古典曲の「風が松の枝を吹きすぎる」を奏するつもりですじゃ」

「なるほど。いや、それはまことに重畳でござる」

文済は、結局、七弦だけを使って一曲を奏でたのである。

寇準は大いに満足してこれを聴き、翌日、

「昨夜はまことに善き曲を聴きました」

と帝にご報告申し上げた。

太宗皇帝、

嘉其有守、亦賜緋衣。

その守るところ有るを嘉みし、また緋衣を賜れり。

文済の、譲れないところがあるという頑固さをよしとされ、結局彼にも赤い服を賜与した。

もちろん苦笑しておられたことであろう。

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「続資治通鑑」巻十八より。如何にも、本朝の徳川家康にも比せられる老成の太宗皇帝らしい振る舞いである。でも、「わたしには無理です」と言っている人にシゴトをさせると、反発してくるに決まっているので、肝冷斎みたいなもう年をとって動きの悪いやつにシゴトをさせてはいけません。

 

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