令和3年1月22日(金)  目次へ  前回に戻る

彼より小豆洗いの上手いやつはたくさんいるであろう。しかし「小豆洗いが下手でも小豆洗いとして生きてきた」ということこそ、評価せねばならない。

週末は最悪の気分で終わる。なんでこんなにダメなのだろう。日曜日からシゴトである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「いや、今回は最悪です」

と同郷の武官・荘芳機に言われたのは、わしが初めて任官して北京に赴いたときであったと思う。荘も江南の参将から北京に戻されたところで、同じ日に皇帝陛下に謁見する機会があったのである。

先に謁見を終えた荘が、(まだ若かった)わしに向かって、

我此行幾誤事。

我、この行、ほとんど事を誤まれり。

「わたしの今回の北京赴任は、どうやら大失敗、最悪のようです」

と言うのである。

「どうされたのですかな」

「それが・・・」

謁見したとき、陛下はこう質問されたのだそうである。

爾自江南来時、可見過蒋修銛。

爾、江南より来たる時、蒋修銛を過(よ)ぎりて見(あ)うべけんや。

「きみは、江南からこちらに来るとき、蒋修銛のところに寄って彼に会えたかね?」

荘は緊張しながら答えた。

没有。

有るなし。

「そんな方には、お会いしてません」

陛下は怪訝そうな顔で、

三問。

三たび問う。

三回、同じ質問をされた。

荘は、

三対如前。

三対、前の如し。

三回、同じように答えた。

すると、

上、変色、曰、爾、大糊塗。豈有江南武官来京、而不向江南総督辞行者乎。

上、変色して曰く、「爾、大いに糊塗なり。あに江南武官京に来たるに、江南総督に向かいて辞行くせざる者有らんや」と。

陛下は不機嫌そうになっておっしゃった。

「きみは、何をごまかしているんだ? 江南の武官が都に赴くのに、江南総督のところに行ってあいさつしてこないはずがないだろう!」

「あ」

そうであった。蒋修銛は総督の名前だ。「総督」としかお呼びしたことがないので、覚えていなかったのだ。

荘は

急対曰、有有有。

急ぎ対して曰く、「有り有り有り」と。

あわててお答えした。「そ、総督とは、お会いしました、お会いしました、お会いしました」

「あははは」

上容稍霽、数語畢即出。

上容やや霽れ、数語して畢りて即ち出づ。

陛下は機嫌を直され、快活に笑われた。それからいくつか応答があって、御前から退出した。

荘は、

渾身汗透矣。

渾身汗透せり。

「体中、汗びっしょりですよ」

とまだ緊張した面持ちで言うのである。

わしは笑って言った、

此自君之粗失、然無碍于理、主上寛仁、断不爾罪也。

これ、君の粗失よりするも、然るに理において碍する無く、主上寛仁、断じて爾を罪せざるならん。

「それは、あなたの大失敗ですよ。しかし、筋を間違えているわけではないですし、陛下はあのように寛大なお方だから、決してあなたを処罰しようなどとはなさらないでしょう」

わしの言ったとおりで、嘉慶帝は荘の、上司と個人的な付き合いのない生真面目さを嘉したまい、荘はしばらくして広東総戎(広東総督府首席参謀)に抜擢されて、赴任していった。

それから何十年が経ったであろうか。

その後も荘とは行き会うこともあり、共通の知り合いがいたりして、互いの様子は知っているつもりだったが、

余今年過鎮江、尚有詢其近況。

余、今年鎮江を過ぎ、なおその近況を詢う有り。

わしは今年、役人を辞めて郷里に帰る途中、鎮江を通ったので、たしか彼の引退先はこのあたりであったと思って、土地のひとに荘の近況を聞いてみた。

すると、

已物故。併有含涕吁嗟者。武員之得民心如此。

已に物故せり。併せて涕を含み吁嗟する者有り。武員の民心を得ることかくの如し。

もう亡くなった、ということであった。そうして、教えてくれた人たちは、彼のことを語るとき、今でも涙ぐんだり、しゃくりあげたりしていた。武官どのは、人々の心をこのようにつかんでおられたんだなあ。

まことに思う、

武臣以不惜死為要義、言語小節、在所軽也。

武臣、死を惜しまざるを以て要義と為せば、言語小節軽しとするところなり。

武人は、死を惜しまずに働くことが最も重要なことである。言語での応答のようなことは、彼らを評価するのに大したことではない。

・・・・・・・・・・・・・・・

清・梁章鉅「浪跡叢談」巻三より。わたくしを評価するのに、シゴトの出来や挨拶の仕方で評価されても困るのである。「えー、まだ生きていたのか」ということが一番評価していただくべき点であろう。

 

次へ

inserted by FC2 system