令和3年2月12日(金)  目次へ  前回に戻る

旧正月でおめでモー。

おめでたいお正月(旧暦)、一年の計は元旦にありと申しますが、厳しいゲンダイの競争社会の中で何にも先のことなど考えずに無計画に生きているので、よく叱られます。

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↓このお話はこれまでにどこかでしたつもりでしたが、記録が見つからないので、しておきます。

方船済乎江、有虚舟従一方来、触而覆之、雖有忮心、必無怨色。

船の江を済(わた)らんとするに方(あた)り、虚舟の一方より来たる有りて、これに触れて覆さんとすれば、忮心(きしん)有りといえども必ず怨色無からん。

船で大きな川を渡ろうとして漕ぎ出したとき、どこかから誰も乗っていない舟が流れてきて、どうもこちらの船に衝突して転覆してしまいそうだということになれば、不快な気持ちになるが、怨み怒るということはない。

怒ったってしようがないからである。

ところが、

有一人在其中、一謂張之、一謂歙之、再三呼而不応、必以醜声随其後。

一人のその中に在る有れば、一にはこれを張れと謂い、一にはこれを歙せよと謂い、再三呼びて応ぜずんば、必ず醜声を以てその後に随わん。

その舟の中に一人でもひとが乗っていれば、あるいは「もっと(岸から)離れろ」といい、あるいは「もっと(岸に)近づけ」といい、二度、三度と呼び掛けて、それでも対応しなかったときは、(船が衝突しようがしまいが)必ず罵倒しながら追いかけるであろう。

向不怒而今怒。

向(さき)には怒らずして今は怒る。

前者では怒らなかったのに、今度は怒りまくる。

どうしてであろうか。

向虚而今実也。

向には虚にして今実なればなり。

前者では空っぽだったのに、今度は誰かが乗っているからである。

これと同じように、

人能虚己以遊於世、孰能訾之。

人よく己を虚にして以て世に遊ばば、孰(たれ)かよくこれを訾(そし)らんや。

ひとが自分を空っぽにして世間で過ごしたならば、いったい誰がそのひとを誹謗するであろうか。

空っぽのやつを批判してもしようがないからである。

さて、そういうことであるから、智慧や才能は捨ててしまいなされ。

釈道而任智者必危、棄数而用才者必困。

道を釈(お)きて智に任す者は必ず危うく、数を棄てて才を用うる者は必ず困ぜん。

自然のままにブラウン運動することをいやがって、自分の知恵で何とかなると考えているやつは危険きわまりない状況になるし、あらかじめ定まった運命を受け入れずに自分の才能で何とかしようとするやつは必ず行き詰ってしまうものじゃ。

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「淮南子」巻十四「詮言訓」より。「ブラウン運動至上主義」ともいうべきこの教えに従って、何も考えずにやっているのに、怒ったり批判したりするとは、怪しからん。

でも世の中には、逆に、人が乗っていないとわかると罵るけど、いると思うと黙ってしまう弱気なやつもいます。黙ってしまいそうになっても相手もそんな弱気なやつだとわかったら罵り出すというやつもいたりしますので、まことに複雑な世の中である。今年(旧暦)中にブラウン運動もしなくなってしまうカモ。

 

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