令和3年2月20日(土)  目次へ  前回に戻る

カッパに取り囲まれて、行く道に迷うこともある。

シゴトも何もかも、コレクトに行動するのもイヤになってきた。本心を言いたいところである。

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二儀既開闢、 二儀すでに開闢し、

人乃居其中。 人はすなわちその中に居る。

「二儀」=「両儀」は「二つの儀」。「儀」は「基本になる大きな仕組み」というような意味で、「両儀」といえば、普通は「天」と「地」を指します。

天と地とは、もう分かれてしまった。

ニンゲンは、その間で暮らしている。

天と地は、

迷爾即吐霧、 汝を迷わすには即ち霧を吐き、

醒爾即吹風。 汝を醒ますには即ち風を吹く。

惜爾即富貴、 汝に惜しましむるには即ち富貴にし、

奪爾即貧窮。 汝より奪いて即ち貧窮にす。

 まずは、おまえを迷わすために、とつぜん霧を吐き出す。

 今度は、おまえを目覚めさせるために、たちまち風を吹き出す。

 それから、おまえに地位と財産を与えて、急に愛惜の心を起こさせ、

そのあと、おまえから全てを奪って、あっという間に貧窮の生活に追い落とす。

いろいろしてくれるんです。

碌碌群漢子、 碌々(ろくろく)たる群漢子よ、

万事由天公。 万事、天公に由れ。

「碌々」は石がごろごろと転がっているようす。転じて「役に立たない」の意となる。

 ごろごろしている皆さま方(男)、

 何事も天のおやじさま(お天道様)にお任せしておけ。

「漢子」は「おとこ」だから、ごろごろしているマイナスのやつは「男」だけです。よかった。だが、「天公」は「天のおやじ」で男だけだぞ。こちらもマイナスの概念とか言い張れるか? まずいかも。

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「寒山集」より。物質や情愛への未練を持ってはいけませんよ、という諦念の詩境をお教えしようと思ったのですが、「男」だとセクハラにならないとか「男勝り」だとどうなるのかとか「女が〇ったらどうなるか」とか気になって、気になって気になって、表現がそろそろ自由ではなくなってくる―――というようことはありませんぞ。

(本日の不要不急は、妻沼・男沼)。

 

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