令和3年3月14日(日)  目次へ  前回に戻る

世界中のひとがシアワセになれるといいのにニャー・・・と休日は思うのだが。

今日はたいへんな強風で、所用の途中、びっくりするぐらいであった。しかし、その大自然の驚異にも、明日からもう平日でシゴトだと思うと感情的なものが湧かず、あんまり何も思わずに一日を過ごした。

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貞観六年(632)のこと、唐の太宗皇帝が信頼する名臣・魏徴に言いましたんじゃ。

古人云、王者須為官択人、不可造次即用。

古人云う、「王者すべからく官のために人を択ぶべく、造次に即用すべからず」と。

むかしの人のコトバに、

「王さまは仕事のためには適切な人材を選ばなければならない。いい加減にほいほいと任用してはいけない」

というのがある。

朕今行一事、則為天下所観、出一言、則為天下所聴。用得正人、為善者皆勧。誤用悪人、不善者競進。賞当其労、無功者自退、罰当其罪、為悪者戒懼。

朕、今一事を行えばすなわち天下の観るところと為り、一言を出ださばすなわち天下の聴くところと為る。用いて正人を得ば、善者みな勧めらると為す。誤まりて悪人を用うれば、不善者競いて進まん。賞のその労に当たれば、功無き者は自ら退き、罰その罪に当たれば、悪を為す者戒懼せん。

わしが、いま、何かをすると、天下の者どもがじいっと見つめているし、何かコトバにすれば、天下の者どもはじいっと耳そばだてて聴いているわけであり、(その中で、)正義のひとを任用したら、世界中のまともな人たちはみなシゴトを引き受けてくれるであろう。一方、不正義なやつを任用したら、世界中のまともでないやつらが競ってシゴトをしに来るであろう。賞与がシゴトの内容に適切ならば、大したことをしていない者は(表面を飾っても報酬はその程度か、とがっかりして)自ら去っていくであろうし、処罰がその罪に適切であれば、悪事をしようとしているやつは恐れ慎むことであろう。
故知賞罰不可軽行。用人彌須慎択。

故に賞罰は軽行すべからざるを知る。人を用いるにはいよいよ慎択すべし。

以上のことから、賞与と処罰は軽々しく行ってはいけない、ということがわかるなあ。人を任用するに当たっては、ますます慎重に選択しなければならんのである。

「当たり前だ!」

「唐の太宗皇帝は名君と聞いていたが、当たり前のことしか言わんのか。これではタメにならないなあ」

「意表をついて、他のひとの言わないことを言ってもらわないと、講義を聞いた者だけが得をする、ということにならないので、ダメね」

などと現代の方々から、問題提起のコトバが聞こえます。

「ハーバード経営大学院で学んだ方がましだわね」

ほんとですね。

とはいえ、太宗皇帝は、当たり前のことをきちんとコトバにして、信頼する魏徴に確認して、さらに自分に言い聞かせているのだと思われます。

ところで肝冷斎は従前より、太宗皇帝や魏徴やそのほか、長孫無忌や房元齢や李靖やら「貞観政要」に出てくるえらい人たちはどうしてこんな対句表現で、まるで文語文のようなコトバをしゃべっているのか、不思議でしようがなかったんです。が、そんなことばかり毎日毎日考えているうちに、最近、「起居注」(毎日の皇帝の発言と行動の記録。「実録」の素材になり、これが「正史」の「〇〇帝本紀」に利用されるわけです)の書き方がこうだったんだ、と思い至りました。同じ唐代でも禅僧の語録だと口語がそのまま記され、激しく罵りあったりしますが、皇帝の発言は、その第一次資料の段階で「文語文」に整理されていたから、一世代あとで玄宗皇帝の時代に太宗皇帝らの言行を整理し直した時には、こんな「書かれたような」会話になってしまっていたのでしょう。

―――閑話休題。

魏徴はお答えした。

知人之事、自古為難。故考績黜陟、察其善悪。

知人のことは、いにしえより難しとす。故に考績して黜陟(ちゅつちょく)し、その善悪を察す。

人材を見分ける、ということは、昔より難しいとされてきたことでございます。それゆえ、その人の成績を考察してしりぞけたり引き上げたりし、また善と悪を見分けることが必要です。

今欲求人、必須審訪其行、若知其善、然後用之。設令此人不能済事、只是才力不及、不為大害。誤用悪人、仮令強幹、為害極多。

今、人を求めんと欲すれば、必ずその行を審訪し、もしその善を知らば、然る後にこれを用うべし。設令(たとい)この人、事を済せずとも、ただこれ才力の及ばざるのみにして大害を為さず。誤ちて悪人を用うれば、仮令(たとえ)強幹なりといえども、害を為すこと極めて多し。

今、人材を採用しようとすれば、必ずその人の行動を細かく調べ、もしその人が「善」なひとであれば、そのことを確かめてから任用すべきでござる。もしもその人がシゴトを成し遂げられなくても、それは単にそいつが才能も力も無かったんだ、というだけのことで、大きな害悪にはなりもうさん。しかし、間違って悪いやつを任用してしまいますと、たとえそのひとが強かで本質を貫けるひとであっても、害悪になってしまうことがたいへん多うござるによって。

但乱世惟求其才、不顧其行。太平之時、必須才行倶兼、始可任用。

ただ、乱世にのみその才を求め、その行いを顧みず。太平の時には、必ず才行ともに兼ねて、始めて任用するに可なり。

乱世の間は、人を採用するには、才能だけを顧慮し、行動の善悪は問わないものでございます。しかし、太平の時になりましたならば、必ず才能と行動(の善)をともに備えた人物であって、やっと任用してよろしうございますぞ。

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「貞観政要」択官篇より。ああそうですか、へいへい、という感じです。このようなタメになる(と思われる)お話を聞いても、明日から平日なので感情が湧かないのです。少し調べには行きましたが。

要するに、乱世においては、「悪」でも才能があればいい。太平の世では、「善」な上に才能がある人を用いるべきである、と言っておられます。「善」で無能とか「善」か「悪」かわからないけど無能、なども用いてほしいものです・・・ね。ハーバード経営術では難しいかも。

 

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