令和3年4月25日(日)  目次へ  前回に戻る

そんな最近のことだったのか。

などと歴史を回顧しているうちに・・・あわわ、また明日から平日だぞ。ど、どうすればいいのか・・・。

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晋の時代のことです。王濛、謝尚、劉惔の三人が、江蘇・丹陽の町のお墓に行った。

何をしに行ったかといいますと、そこに隠棲していた殷浩を訪ねたのである。

三人は、殷浩に世に出るように勧めたが、

絶有確然之志。

絶して確然の志有り。

まったく取り合わず、しっかりとした(隠棲の)気持ちがあるのであった。

都の建業に帰ってきて、王濛と謝尚は語り合った。

淵源不起、当如蒼生何。

淵源起(た)たずんば、まさに蒼生(そうせい)を如何すべき。

淵源は殷浩の字です。

「殷浩のやつが世に出てくれないのでは、人民たちはどうすればよいのか・・・」

「蒼生」(そうせい)は「尚書」皐陶謨(こうようぼ)篇にある語で、曰く、

帝、光天之下、至于海隅蒼生、万邦黎献、共惟帝臣。

帝、光天の下、海隅の蒼生に至るも、万邦の黎献、ともにこれ帝臣なり。

―――舜帝さま。広びろとした空の下、海のそばの「青黒い生き物」に至るまで、すべての国の多数の民、賢者たちは、みなあなたさまの臣下にござります。

というのに出てきます。この「蒼生」=「青黒い生き物」を、@「緑の草」のことだが、これが転じて数多い人民を指すようになった、A頭の黒い生き物のことで、もともと人民のこと、という二説があるんですが、結局どちらも「人民ども」のこと、ということになります。

いずれにせよ、王濛と謝尚は、

深為憂歎。

深く憂歎を為す。

深刻に心配して歎きあった。

ところが、劉惔は笑って言った。

卿諸人真憂淵源不起邪。

卿諸人(けいしょじん)は、真に淵源の起たざるを憂えるか。

「あんたたちは、本当に殷浩が世に出てこない、と心配しているのかね」

そのコトバどおり、後に、殷浩は簡文帝(在位371〜372)の招請に応じて、桓温の横暴を抑えるために揚州刺史として朝廷に参じたのである。

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「世説新語」識鑒第七より。ところがその後、桓温に負けて、また隠棲してしまうんです。よし、わしも隠棲するぞ。

なお、本日の所用

 

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