令和3年5月10日(月)  目次へ  前回に戻る

ギターとかドラムとかならモテルが、太鼓ではなあ・・・。

もうダメだ。今日から平日だ。もう何もしたくないし何より何もできないのだ・・・。

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晋がまだ天下を統一していたころのこと、王敦という少年貴族がはじめて宮廷にやってきた。

有田舎名、語音亦楚。

田舎の名有り、語音もまた楚なり。

いなか者と言われ、また、ことばにも辺境のなまりがあった。

晋の武帝・司馬炎が

喚時賢共言技芸事。

時賢を喚びて共に技芸の事を言う。

そのころの知名人を呼び集めて、ともに芸術上のことを語り合う席を設けたことがあった。

どういうわけか、王敦もその場に呼ばれた。(実際は、彼は田舎育ちだが、琅邪王氏といわれる名門中の名門の御曹司だったからである。)

人皆多有所知、唯王都無所関、意色殊悪。

人みな多く知るところ有るも、ただ王はすべて関するところ無く、意色ことに悪し。

出席者たちはみないろんなことを知っていたが、王敦だけはまったく何のことやらわからないことばかりで、キモチも顔つきもずいぶん険悪になってしまっていた。

そんな時、たまたま武帝と目が遇った。

「きみは、何か得意なことはないのかね(。それとも、何もできない肝冷斎みたいなやつのか?)

王敦は自ら言った。

知打鼓。

鼓を打つを知れり。

(肝冷斎などと一緒にされたくはないです。)わたくしめ、太鼓叩きについてはよくわかっておりますばい」

と。

「ほほう」

帝令取鼓与之、於坐振袖而起、揚槌奮撃。

帝、令して鼓を取りてこれに与うるに、坐において袖を振るいて起ち、槌を揚げて奮撃す。

帝は、人に命じて太鼓を持って来させて、王敦に与えた。すると王敦は(まわりに人が座っている)その場で袖を振り上げて立ち上がり、バチをあげて、激しくたたき始めた。

音節諧捷、神気豪上、傍若無人。

音節諧捷、神気豪上し、傍らに人無きがごとし。

リズムはよくとれ、かつ速く、精神的な波動がどんどん強くなってきて、まるでまわりには誰もいないような振る舞いであった。

礼儀も技術もへったくれもないが、とにかく迫力はあった。

挙坐歎其雄爽。

挙坐、その雄爽に歎ず。

一座みんな、その雄々しくて快爽なのに感じってしまった。

「大したやつじゃ」

これで武帝に認められて、王敦は公主さまをヨメにいただくことになったのである。

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「世説新語」豪爽第十三より。王敦は後、西晋滅亡後、元帝・司馬睿を助けて東晋帝国の建国に力を尽くして大将軍となります。が、その後どんどん気が大きくなってきまして、最後は・・・。

 

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