令和3年6月29日(火)  目次へ  前回に戻る

カッパ、カメなどの下等生物が好むラーメンはやはりどろどろであろうか。

今週はシゴトの人たちが盛り上がっていて、肝冷斎が世俗で生きるのはツラくなっています。

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ツラい中で申し上げますと、

世味醲釅、至味無味。

世味は醲釅(じょうげん)なれど、至味は無味なり。

「世味」は世間の味わい、おもむき、といった意味です。「醲」(じょう)「釅」(げん)どちらも「どろどろして濃い」の意。もとはそういう酒をいいます。

この世のことはどろどろと濃い味がするが、本当に美味いものには味が無い。

そして、

味無味者、能淡一切味。

無味を味わう者は、よく一切の味に淡なり。

そのような味の無いもの(本当に美味いもの)の味わいがわかる者は、あらゆる味に対して、淡泊でこだわりがなくなる。

淡足養徳、淡足養身、淡足養交、淡足養民。

淡なれば徳を養うに足り、淡なれば身を養うに足り、淡なれば交を養うに足り、淡なれば民を養うに足らん。

こだわりが無いなら、徳を養って立派な人になれるだろう。

こだわりが無いなら、体にいい食事になって健康でいられるだろう。

こだわりが無いなら、友人たちといい交わりができるだろう。

こだわりが無いなら、人民たちに不足のないしあわせな生活をさせてやることができるだろう。

なるほどね。

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明・祝世禄「祝子小言」より。あっさり味もいいのですが、やはりどろどろ背脂ラーメンが美味い。小人だからしようがないのだ。

ちなみに、上述は、もちろん「荘子」山木篇に曰く、

ある時、孔子が子桑雩(しそうこ)先生に訊ねた。

「わたしは魯の国でうまく行っていたころにはたくさん友人がいたが、亡命するとみな離れて行ってしまった。

何歟。

何ぞや。

どうしてこんなことになるんですかね」

子桑雩先生は答えた。

「・・・(前略)・・・、

君子之交淡若水、小人之交甘若醴。

君子の交は淡きこと水のごとく、小人の交は甘きこと醴(れい)のごとし。

立派な人同士のお付き合いは、水のようにさっぱりしているんだが、つまらぬ者同士の付き合いは、甘酒のようにどろどろと甘いものじゃ。

君子淡以親、小人甘以絶。彼無故以合者、則無故以離。

君子淡以て親しみ、小人甘以て絶す。かの故無くして以て合する者は、故無くして以て離るるなり。

さっぱりした付き合いだからこそ親しみあうことができるのだが、どろどろ甘い付き合いは結局は絶交に至るのじゃ。真の理由もなく集まっているやつらは、理由もなく散り散りになるものじゃからなあ。

そして・・・以下略・・・」

という「淡水甘醴」の比喩を踏まえております。

実は略したところに林回というやつが出てきたり、孔子が書物を棄ててしまったり、いろいろすばらしいお話があるのですが、今回は略。明日もたいへんなんです。所用で冷えたので休めるかも。

 

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