令和3年7月9日(金)  目次へ  前回に戻る

権威に弱いものはやがて敗北していくしかないであろう。

もうダメだ。週末だが鬱々だ。何故であるかは、以下↓を参照のこと。

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黄帝さまが紀元前5000年ごろに、逆賊・蚩尤(しゆう)をやっつけました。この時、

於黎山、棄其械、化為楓樹。

黎山においてその械(かい)を棄つるに、化して楓樹と為れり。

蚩尤を捕まえて殺したとき、その足枷を南方の黎山に棄てた。そこから、「楓」が生えてきたのじゃよ。

という(「山海経」)。

「楓」(ふう)はわが国で訓じる「かえで」ではなくて、和名「おかづら」という木のことなんだそうですが、やはり秋になると色づくので、「かえで」と誤られてしまったんだそうです(「和漢三才図会」巻八十二・香木類など)。

晋・嵆含の「南方草木状」によれば、嶺南地方には、この楓樹(おかづら)が多い。そして、

歳久則生瘤癭。一夕遇暴雷驟雨、其樹贅暗長三五尺。

歳久しければ、瘤癭(りゅうおう)を生ず。一夕、暴雷驟雨に遇えば、その樹贅、暗に三五尺を長ず。

この木が長年を経ると、「こぶ」ができる。そんな夜、激しい雷雨があると、その木こぶが、暗闇の中で三尺から五尺(0.7〜1.2メートル)もの大きさに成長する。

この当時の一尺≒24センチで計算しましたのじゃ。子どもぐらいの大きさになるわけであるが、

大きなものはさらに一丈(2.4メートル)にも及ぶというのである。

しかも、

形如人、口眼悉具。謂之楓人。

形、人の如く、口眼ことごとく具わる。これを「楓人」と謂えり。

ニンゲンのような形をし、口や目がすべて具わっているのだ。これは「楓人」と呼ばれる。

「ヒトニクサ」のようになるのです。

越巫取之作術、有通神之験。

越巫これを取りて術を作し、通神の験有り。

南方民族の女魔道士は、この「楓人」を手に入れて、神降ろしの術に使うのであるが、実際に不思議な効き目があるのである。

なぜそんなことがわかるのか?

なぜなら、このわしは広東出身で、身の回りで何度もこの楓樹人形によって不思議なことが起きたのを、見聞きしてきたからなのじゃ。

ひっひっひっひ。

ただし、

取之不以法、則能化去。

これを取るに法を以てせざれば、すなわちよく化去す。

楓人を入手するときに、彼女らの間に伝えられた決まりがあり、そのとおりにしないと、楓人は「ひひひ、おまえは掟を守らなかった、守らなかった。だからわたしはおまえの言いなりに、ならない、ならない。ひひひひ」

と笑いながら、消滅してしまうのである。

ほんとなんじゃ。信じてほしい。

幼いころに聴かされた、「楓人歌」という歌にいう、

小雨楓人長一尺、 小雨の楓人、長一尺、

大雨楓人長一丈。 大雨の楓人、長一丈。

女巫取得水沈薫、 女巫取り得て水に沈め薫ずれば、

一夕楓人有精爽。 一夕、楓人、精有りて爽なり。

 ぱらぱら雨降りゃ、楓人さまの丈は一尺、

 どっと雨降りゃ、楓人さまの丈は一丈。

 おろし巫女さま、香り水に漬けて、

 祈ればある晩、タマシが宿ってなんでもご存じ。

小婦持珠来、 小婦珠を持ち来て、

求子歩遅迴。 子を求めて歩むこと遅迴。

大婦持銭至、 大婦銭を持ち至りて、

問郎帰尚未。 郎の帰れるやなお未だしやを問う。

 いもとは数珠持って楓人さまの周りを

子だね祈ってぐるぐるまわり、

あねさはぜぜ持って楓人さまの前で

銭が表向きゃあの人帰るし、裏なら帰らぬ。

これだけ見ると楓人さまは子だねとか男の動向など個人的なことに使われているようですが、

歳旱以泥封之、則雨。

歳旱すれば泥を以てこれを封ずるに、すなわち雨ふる。

日照りの年には楓人さまを泥の中に塗り込めると、すぐに雨が降るという。

という記録もあり、社会公共のためにもつかわれていたようです。(「大明一統志」

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清・屈大均「広東新語」巻二十五等より。上の「楓人歌」は屈大均自身が造っているみたいなので、18世紀までこんな呪術が流行っていたのです。ああやはり東洋だなあ。欧米の人たちは我々ゲンダイ人と同じぐらい優れたいたから呪術なんか古代から無いんだ、・・・と思いますよ。

上のような断片的知識をあちこち調べはじめると楽しくてしようがないんですが、やがて深夜、「おれは何をしているんだ・・・また、人生の何千分の一かをこんなことに・・・」と気づくと、一気に鬱々になります。こうやって老いて、そして若い人たちにこんな社会を遺していくのかと思うと申し訳ない。最後に何かし出かしていくかな。おえら方を巻き込んで、な。ふふふ。ひっひっひ。(これもイヤになるよ。)

 

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