令和3年7月25日(日)  目次へ  前回に戻る

ガマでがます。

はい、もう祝祭は終わり。日常に戻るよ。

・・・・・・・・・・・・・・・

北宋・仁宗皇帝(在位1022〜63)のころ、首府・開封に住む名医・張荊筐のもとに、善良そうな男が六七歳になろうかという男児を連れて来診してきた。

その子は、

肌膚如玉。

肌膚玉の如し。

お肌がぴかぴか、つるつるとして、まるで玉のようである。

まるまると肥ったカシコそうな子であった。

「一体どうされましたか?」

「実は・・・」

この子が

不食。

食せざるなり。

「何も食わないんですだよ」

「ほほう。いつから?」

「その・・・、五年以上になりますだか・・・」

「はあ。見たところまだ六七歳かと見受けますが、ということは、乳離れされたころから?」

「事情がございますだ・・・」

と男の言うことを聴くに―――

六年前の秋、河北に大飢饉が起こった。その日の食べ物に困るようになって、

夫婦襁負一子帰青社、未幾、迫於飢困、不能皆全、棄之道左空冢中而去。

夫婦、一子を襁負して青社に帰せんとするに、いまだ幾ばくならずして、飢困に迫られ、皆全あたわず、これを道の左の空冢の中に棄てて去る。

男は妻とともに、まだむつきの子どもを背負って、青社という土地に食を求めて向かった。

いわゆる流民となったのです。

しかし、まだ目的地まで遠いところで、栄養失調で身動きできなくなり、家族三人が生きていくのはムリだと考えて、男は妻を説得し、子どもを棄てていくこととした。

男は子どもを抱えて、ちょうど道の左側に空っぽの墓穴があったので、そこに子どもを寝かせ、手を合わせて後ろを振り向かずに逃げるように妻のところに戻ったのであった。

翌年の春、

歳定帰郷。

歳定まりて帰郷す。

飢饉も終息し、夫婦もなんとか自活できる目途がついたので、郷里に戻ることにした。

過此冢。

この冢を過ぐ。

ちょうどこの墓の横を通った。

夫婦はせめて骨だけでも連れ帰ろうということで、記憶をたどって墓穴を開けてみた。

すると―――

児尚活。肥健愈於未棄時、見父母、匍匐来就。

児、なお活(い)きたり。肥健、いまだ棄てざる時に愈(まさ)り、父母を見て、匍匐して来就す。

赤ん坊はまだ生きていたのだ。

しかも、栄養失調だった棄てる前より肥満して健康そうで、両親の姿を見ると、「ばぶばぶ〜」と這い寄ってきたのである。

驚いて、

視冢中空無有、惟有一竅滑易、如蛇鼠出入。

冢中を視るに、空しくして有る無く、ただ一竅の滑易にして蛇・鼠の出入せるが如き有るのみ。

墓穴の中を仔細に調べてみたが、空っぽでも何も無い。ただ、奥に一つまるい穴があって、ヘビやネズミの出入り口であるかのように湿ってぬるりとしている。

這いこんでその穴を覗いてみたところ、

「あ」

有大蟾蜍如車輪。気休休然出穴中。

大蟾蜍の車輪の如き有り。気、休休然として穴中より出づ。

馬車の車輪のような体長一メートルもありそうな巨大なガマガエルが、その中にうずくまっていた。ガマガエルの皮膚からはふつふつと何やらガスが噴きだしていて、それが穴の中から墓穴の方にもきゅうきゅうと音をたてて出てくるのだ。

「その赤ん坊がこの子なのですだが、

自爾遂不食。

爾(それ)よりついに食らわざるなり。

それからずっと、何も食べないんですだ」

というのである。

「なるほど・・・。ところでおまえさんは、そのカエルの出すガス状のものを吸って、体調に変化はないですかな?」

「いや、それ以来体調は良好で、どんなに働いても苦にはならないですだばい」

「ああ、やっぱりそうじゃ。

物之有気者能蟄。燕蛇蝦蟇之類是也。能蟄則能不食、不食則寿。

物の気有るものは蟄するを能くす。燕・蛇・蝦蟇の類、これなり。蟄するを能くすれば食らわざるを能くし、食らわざれば寿なり。

気をためこむことの出来るドウブツは、冬眠することができる。ツバメ、ヘビ、ガマの類はみなそうじゃ。冬眠ができれば、食べないでいることができ、食べないでいることができれば、長生きができる―――そういうものなのじゃ」

ツバメも冬眠するんですね。

此千載蝦蟇也。決不当与薬、若聴其不食不娶、長必得道。

これ千載の蝦蟇なり。決して薬を与うべからず、もしその食らわず娶らざるを聴(ゆる)さば、長じて必ず道を得ん。

「おそらくその時のガマガエルは千年生きたガマだったんじゃよ。いいか、その子に絶対薬を飲ますようなことをしてはいかんぞ。そして、この子はおそらくものを食べたりヨメをもらったりをしたがらないはずなので、その希望のままにしてやれば、成長すれば必ず仙人道を得て、不老長生間違いなしじゃ」

「おお、そうですだか」

父喜、携去。

父喜び、携え去りぬ。

男は喜んで、子どもにも何度も頭を下げさせて、帰って行った。

―――わしが開封の町で張先生からこの話を聞いたのは、嘉祐六年(1061)のことである。

その時に、張先生は、

今不知所在。

今、所在を知らず。

「その子がいまどうしているのか知らんよ」

と言っていた。

さらに十年ほどを経た現在もどうしているか、もしその能力を何か悪事に使っているなら、どこかでウワサを聴くであろうから、そのウワサさえ聴こえないというのは、おそらく親子ともども真摯に生きているのに違いない。

・・・と、蘇東坡先生がおっしゃっていました。

・・・・・・・・・・・・・・

「東坡志林」巻三より。何も食べなくてもなんとかなるとは。毎日が祝祭日でも生きていけますね。日曜日の夜になっても、こんなに「どよーん」としなくても済む、ということだ。

調査所用。休みだと誠実にこなせます)

 

次へ

inserted by FC2 system