令和3年8月28日(土)  目次へ  前回に戻る

こんなタマだったら無傷かも。

今日も暑かったです。もうダメだ。どろどろに溶けてしまいそうである。明日は涼しくなるということだが。

暑くてもどろどろに溶けなかった例もあるようです↓から、みなさんはがんばってください。

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元の時代のことですが、南京の太平興国寺に行きますと、大きな鐘があって、

其款有曰皇帝万歳、珠宛然在其上。

その款に「皇帝万歳」と曰う有りて、珠、宛然としてその上に在り。

「皇帝万歳」という銘が浮き出しているその真上に、珠玉が一個、まるいままで鋳込まれているのであった。

若故識之、而堅固完好、光采明発、不以灼毀。

故(もと)よりこれを識るすがごとく、堅固完好にして、光采明発し、以て灼毀せずあり。

最初から設計されていたようで、きっちりと堅くはめ込まれ、完全ですばらしい。珠は明るい光を反射させ、高熱で鋳込まれたはずなのに、焼けたり壊れたりしていないのである。

これを見るひとびとは、

万目驚視、歓嘆如一。

万目驚き視、歓嘆すること一なるが如し。

どのひとびとも驚いて見入り、悦びのため息をつくのであった――まるで同じ一人の人のように。

実はこの珠は、はじめからここに嵌め込まれたものではない。

ある若いモンゴル皇子が、この鐘を鋳る作業を行っているとき、

至其所、取相嵌碧珠指環、祝曰、若天命在躬、此当不壊、即投液中。

その所に至り、相嵌せる碧珠の指環を取りて、祝して「もし天命の躬に在れば、これまさに壊せざるべし」と曰いて、即ち液中に投ぜり。

作業場までやってこられ、おはめになっていた緑の珠の嵌った指環を取り外されると、「もし天命がわたしの身に降るなら、このタマは傷つくことが無いであろう」とまじなわれて、どろどろ溶けた高熱の銅の中に、それをお投げ入れになられたのである。

鋳上がってみると、みごとに款識の真上に、傷つかずに嵌っていたのだ。

この方こそ、致和元年(天暦元年)(1328)に泰定帝の後に一度即位し、実兄の明宗・和世剌(ほしら)との間の天暦の内乱を勝ち抜いて、1329年に帝位に復した文宗・図帖睦耳(とく・てむーる)である。

文宗は即位の後、わざわざ太平興国寺に行幸あってこの鐘を高覧し、

与近侍言向時祝天之讖。

近侍と、向(さき)の時の祝天の讖(しん)を言えり。

近侍の者と、以前の天命をまじなったときの予言の的中について、話しあったものであった。

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「南村輟耕録」巻二十一より。溶けなくてよかったですね。文宗は1329年に一度退位し、玉璽を渡すために兄・明宗と会見したのですが、その四日後に明宗は崩御し(明らかに暗殺)、再び帝位についた。しかし、三年後の至順三年(1332)に亡くなってしまいました。御齢二十九。おそらく精神に異常を呈していたという。

モラル見に行く。

 

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