令和3年9月17日(金)  目次へ  前回に戻る

これなら居眠りしていてもわからないであろう。

昼も夜も異常なほど眠いです。所用の時間だけは起きているが。

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宋・高宗の紹興二十五年、冬、長く権勢の座にあった宰相・秦檜が病床に臥した。眠かったから臥したのではありません。

秦檜は、参知政事(副宰相)の董徳元と枢密院事(大本営幕僚)の湯思退を枕元に呼んで、後事を託した。

ただし、国家のことを託したというより、自らの派閥の将来を託したというべきであろう。

「あとのことは頼むぞ・・・」

「何を、大師どの、気弱なことを」

「はようお元気になってくだされ」

秦檜は言葉なくかぶりを振ると、

贈黄金各千両。

黄金をおのおの千両、贈らんとす。

二人に、黄金それぞれ千両づつくれるという。

「むむむ・・・」

さて、問題です。

あなたはこの黄金千両を受け取りますか? 受け取りませんか?

・・・ぽんぽんぽんぽん・・・・・・・・・・・・・ちーん。

(回答1)

董徳元、以為若不受、則他時病癒、疑我二心。乃受之。

董徳元、おもえらく、もし受けざらば、他時に病い癒えんに、我が二心を疑わんかと。すなわちこれを受く。

董徳元は、

―――もしこの黄金を受け取らなければ、宰相どのがもしも快癒されたときには、わしが宰相どの以外の方面に忠誠心を持っていたのではないか、と疑われてしまうかもしれんぞ・・・。

と考えて、

「ありがたきしあわせ」

と黄金を伏し頂いた。

(回答2)

湯思退、以為秦檜多疑、他時病癒、必曰、我以金試之、便待我以必死邪。乃不敢受。

湯思退、おもえらく、秦檜疑い多ければ、他時に病い癒えんに、必ず「我、金を以てこれを試せしなり」と曰い、すなわち我を待つに必ず死を以てせんか、すなわち敢えて受けず。

湯思退は、

―――秦檜さまは人を疑うことの多い方じゃからな。もしも快癒されたときには、必ず、「わしは黄金を見せて、おまえを試してみたのじゃ」と言い出されるであろう。その時には、(もし黄金を受け取っていたら、忠誠より黄金が大事だと考えたいたのか、と思召されて)わしは必ず死を賜うことになるにちがいない・・・。

と考えて、

「これはいただけませぬ」

と黄金を受け取らなかった。

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秦檜のおそらく最大の理解者(であり政敵)である高宗皇帝は、後にこのことを聴いて、

以思退非。

思退を以て非となす。

「湯思退の考えの方が間違いじゃな」とおっしゃった。

秦檜は、自分が死んだあと、何かのために黄金が必要になるかも知れん、と考えて二人に預けた、というのが真意であったであろう。そういう合理主義者なのである。もし病いが快癒したとしたら、なぜ、黄金を受け取ってわしの思ったように働こうとしなかったか、別の人間の意を汲もうとしたのではないか、と考える男だ。

―――というのが、皇帝の感想であった。

一方、

檜党乃以思退兼権参知政事。

檜の党はすなわち思退を以て、権参知政事を兼ねしむ。

秦檜の息子を含む秦檜派の面々たちは、湯思退に、参知政事(副宰相)の代行を兼務させた。

つまり、湯思退はすでに枢密院(大本営)のポストを持っていたので、これに文官の方の権力も与えた。董徳元の方には、参知政事のままで、枢密院のポストは与えなかった、ということである。

彼らからすれば、徳元のとりあえず呑み込んでしまおうという腹の大きさが、怖かったのであろうか。

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「続資治通鑑」巻130より。

その数日後、秦檜は卒した。年六十六。大局観があり、かつ実行力のある政治家ですが、

性陰険、如崖穽。

性陰険にして崖穽のごとし。

性格はとにかく陰険。人を陥れること、まるで巨大な落とし穴のようであった。

と評される。晩年は過去に少しでも自分の方針に反対したことがある(と自分が思い込んだ)人間を、陥れてとことんまで追い込む工作ばかりしていました。このため、彼の死んだとき、中央政府にはほとんど人材が尽きており、これまで何の実績も無かった者ばかりが集まってしまっていたという。

 

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