南国の精霊は冬も半裸さぁー。
なかなか暖かくなりません。房総も風が冷たかったぜ。こんな日は暖かい南国のお話でもしましょうねー。
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南国は暑いので、涼しい泉のお話をします。
我が郷里・広東の龍門の南四十里(20キロ弱)に、「甕泉」という名所があります。
有石甕七。大者径二丈、小者一丈。其深莫測。
石甕七有り。大なるものは径二丈、小なるものは一丈なり。その深さは測るなし。
石を組み合わせたカメが七つ、地中に埋まっている。大きなものは直径6メートル、小さいものでも3メートルあり、その深さについては不明である。
上有泉、自石間湧出入于甕、濤声舂天、如雷闐闐。
上に泉有りて、石間より湧出して甕に入り、濤声天を舂きて雷の闐闐(てんてん)たるが如し。
石カメより上に泉源があって、岩の間から水が湧出している。その水がカメに入ってくるのだ。その水の音は天をどんどんと突きあげるようで、まるでカミナリがどろどろと鳴っているかと思わせる。
そのカメの水がまた溢れて、川になって流れて行くのである。
涼やかで感動的だ。そこで、わしは詩を作った。
石甕東西七星列、 石甕東西に七星列(つら)ね、
天泉日夜一雷舂。 天泉日夜に一雷舂(つ)く。
石のカメは東から西に、七つの星のように並んでいる。
天(上流)から落ちてくる泉は、昼も夜も、カミナリのようにカメを撞く。
その音たるや、
どんどん!
うるさいなあ。
隣の春州には「十三畳瀑布」があります。滝が落ちてくる階段状に落ちてくる、その階段が十三もある。
廬山三畳泉方之、尠如也。
盧山の三畳泉、これに方(くら)ぶれば、尠如たり。
安徽の廬山の滝は三段になっているので有名だが、うちの十三段に比べれば、たいへん少ない。
涼やかなだけでなく迫力もあるぞ。そこで、わしは詩を作った。
匡盧三畳挂虹梁、 匡盧の三畳、虹梁を挂(か)け、
復有黄山九畳長。 また有り、黄山九畳長し。
争似春州十三畳、 いかでか春州の十三畳の、
交飛白水一天涼。 交ごもに白水を飛ばして一天涼やかなるが似(ごと)からん。
匡州の廬山の三段の滝は、虹の梁が横たわるといい、
また黄山には九段の高い滝がある。
けれどどちらも、我が春州に十三段の滝の、
あちらからもこちらからも透き通った水を飛ばしあって、空全体が涼しくなるには及ぶまい。
あちらからもこちらからも、水しぶきだ、
ざあざあ!
うるさいし暑苦しいなあ。
また作った。
陽春白水十三畳、 陽春の白水、十三畳 ・・・
あたたかい春が来て、透き通った水の十三段は・・・
うるさいので、もう省略。
さらに作った。
一畳冰霜一畳雲、 一畳は冰霜、一畳は雲 ・・・
一段目は氷霜のように冷たく、二段目はしぶきが雲のように沸き立ち・・・
以下略。
実は、
予平生絶愛瀑泉。嘗亭於三畳泉之下、為三畳泉操以落之。
予、平生、瀑泉を絶愛せり。かつて三畳泉の下に亭し、三畳泉のために操以てこれに落つ。
わしは、以前から滝が大好きなんです。ほんとのことを言うと、かつて中原を旅したころ、廬山の三畳泉の下に小屋掛けして暮らしたことがあった。このときは、三畳泉に惚れ込んで、みさおを捧げてしまっていた状態だったのだ。
滝≒女性の比喩のようです。この言い方は、ジェンダー論、ルッキズムなど多くの点で批判されざるを得ません。強く批判し、遺憾の意を表する。
玆於十三畳泉、益用流連忘返。
これ、十三畳泉における、ますます流連を用いて返るを忘れたり。
ここ十三畳の滝では、さらにさらに何日も居続けをして、家に帰ることなど忘れてしまいそうだ。
それにしても、十三段滝の詩は、我ながらどれもこれもうまく出来ましたね。
よし、
斯三詩亦将寫之琴、而名其琴曰十三畳泉。銘之。
すなわち三詩またまさにこれを琴に写し、その琴に名づけて「十三畳泉」と曰わん。これに銘す。
そこで、三篇の詩を琴に書きつけることにした。そして、その琴には「十三段の滝」と名付けよう。滝のようにでかい音が鳴るぞ。
琴に銘して曰く―――
春州十三、 春州の十三、
匡盧三畳、 匡盧の三畳、
於此琴中、 この琴中に、
流声相接。 流れの声相接せん。
春州は十三段、
廬山のは三段、
この琴の中に
滝の音がこだまする。
びょんびょん!
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清・屈大均「廣東新語」巻四より。この本はいい本なのですが、お国自慢が多くて、すぐ自分の詩を紹介しだす点が特徴的です。東洋の昔の本なのでジェンダー系の問題もありますが、それは遺憾の意を表しておいたから許容されるでしょう。
涼しい滝の音も聞こえてまいりましたので、もう春を通り過ぎて夏になってもいいぜ。
どうでえ、この河内野の暑いこたあ
トウキビの葉っぱが
ちらちら動くだけで
天道さまのかんかん照りだ。
ふんどし一丁の平七は
玉の汗。
(略)
さあ、ふんどしを
しめなおせ
今に百姓の天下がくるぜ (井上俊夫)
さらに百姓の天下になってもいいぜ。