令和4年5月19日(木) 目次へ  前回に戻る

春先はよかったなあ。夏になり、いよいよ時が迫って追い込まれてきました。コロナも終わったし。

もうおしまいですわー。絶望だ。やる気ない。あまりに愁いや不安が多くなってきているのだ。

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夏日になってまいりました。

韶華不為少年留。 韶華は少年のために留まらず。

恨悠悠、       恨みは悠々として

幾時休。       幾時(いつ)か休(や)まん。

「韶華」(しょうか)は、「韶(うつく)しく、華やかな」@うららかな春の景色、A人生の若いころ。ここは「少年」がAの意味なので、それを見捨てていく「韶華」は@の方です。

 うららかな春景色は、青春のよき時代(は春景色が似合うが)のためにさえ、残ってはくれなかったんじゃ。(このように老いた今に至っては、あっという間に去って行って当たり前じゃよ。)

 つらい思いははるかに続き、

 いつになったら忘れられるのか。

飛絮落花時候、  飛絮(ひじょ)、落花の時候、

一登楼。       ひとたび楼に登りぬ。 

 柳が飛ばすとびわたと、落ちる花びらの季節(つまり春の終わり、夏の初め)―――

 おれはふらりとたかどのに登った。

楼の展望台からは、長江がのどのど行くのを見はるかすことができる。

便做春江都是涙、 すなわち春江をすべてこれ涙と做(な)すとも、

流不尽、       流し尽くさざらん、

許多愁。       許多(あまた)の愁いを。

 そこで、春の長江の水をすべておれの涙だとしてみる。それでも、

 流し尽くすことはできまいよ。

 おれの、あまりに多い悲しみは。

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宋・秦観「江城子」詞。オトナのみなさんはグラスの中に許多の愁いを浮かべて飲み干していますから、演歌のコブシを回したように、ぐぐっと来ますね。悲しみを流し尽くすことはできないのさ。

 

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