フィールドワーク録22−6 (起:令和3年10月2日(土))  目次へ  令和3年6月5日〜へ

ヒルコになって永遠の命を!と夏場は元気だったなあ。

10月2日(土)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

所用もなく、国立公文書館で秋の企画展「おしゃべりな本たち」―謎解き!紙と文字から探る内閣文庫―を調査してきました。

金吹き工程図だそうですが、わざと乱丁にして、正しい工程がわからなくしてあるそうです。

製本の仕方で、読まれた本か装飾用か、などがわかります。奥付や表紙を張り替えてしまって、関係ない人の名前が入ってしまっている本もあるそうです。ああ勉強になるなあ。

今回一番感動したのはこの「平家物語」刊本。右のは国立国会図書館にある通常本。二人の僧侶が描かれています・・・が、左の内閣文庫本は、誰かが髪の毛を落書きをしていて、僧侶が上半身裸の女性になってしまっている。

 

10月9日(土)・・・・・・・・・・・・・・・・・

所用も無いので、洗足池へ行ってみた。

〇勝海舟記念館 ・・・ 勝海舟終焉の地である。津田仙が土地を用意してくれたそうです。住宅地趾は残っているが、住宅は既に無し。昭和初めに金子堅太郎を理事長として清明文庫がつくられ、ここに勝の遺品を遺す。

登録建築物の清明文庫=勝海舟記念館

他のものは写真撮るなということですが、この海舟の使用印鑑はオーケー。こういう神様の宿っていそうな「細部」はわくわくしますね。

近くに西郷南洲留魂社があり、「火州後学・徳富蘇峰」の揮毫になる碑もあります。この隣は勝海舟夫妻の墓。

〇洗足稲荷社 ・・・ この付近から縄文土器が出ています。洗足池は縄文期には、東京湾までつながる川ないし入り江であった。

この付近は平安末期に「牧」となっていたよし。

宇治川先陣争いの池月・磨墨で名高い池月さまの出身地とされ、ご銅像あり。付近の「北洗足駅」も戦前は「池月」駅であったという。

洗足はもと「千束」だそうですが、日蓮上人が足を洗われたことから「洗足」となったよし。「日蓮上人袈裟懸けの松」も遺っています(ただし現在の松は三代目とのこと)。江戸時代からの行楽地で、明治期に市民公園となった。

肝冷斎たちの世代には「心霊スポット」として名高く、今日も「あそことあそこあたりかなあ」というヤバそうな場所はあったが、日の暮れる前に家路を急ぐ。

 

10月17日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・

東京六大学の所用に、いや、すいません、大学野球の場合は試合数ノルマのないただの「娯楽」扱いでした、に行こうかと思っていたが、雨天中止で、のそのそと昼頃から調査を始める。

〇東洋文庫 ・・・ 東洋文庫名品展「東洋学の世界へようこそ」が10月6日から始まっているので、一回は見に行かないといまわの際に

「あのとき見に行っておけば・・・」

と後悔するかも知れないので観に行く。

いわゆるモリソン文庫書架。こんなの所有してしまったら、「お、おれの本〜」と執着したまま転生することになるのであろう。危険である。

今回の出物の中ではこれが一番オモシロかったでしょうか。日本領事館内の編集局で作っていたという中文新聞「順天新報」。ほとんど他に所蔵はないそうですが、この号は右半分が宣統帝の退位宣言、左のページがナベとか仁丹とかの広告になっていて、人間の営みがよく理解できます。

ここから、駒込を経て飛鳥山へ歩いてみる。

〇妙義坂地蔵尊 ・・・ 駒込駅から北に降りる坂にあるお地蔵さんです。江戸時代には巨大な敷地を持っていたそうですが、明治期に病院敷地になってここだけになったという。一番左はおかっぱ頭の少女二人が並んでいるお地蔵さまですが、昭和11年にここで交通事故で亡くなった小学生二人を祀っているとのこと。

〇ゲーテ公園 ・・・ 飛鳥山に向かう途中に「ゲーテ館」があり、その通りを「ゲーテ通り」というそうです。ドイツ文化帝国主義の成れの果て的なやつですが、ゲーテ館前にポケットパークがあります。

ギョ―テは最初の「正式な結婚」をしたのが今のわたしぐらいの年齢のはず。その後も何人か恋人が出来ておられ、すさまじい気力である。山のあなたのなお遠く、幸いが住んでいる、かも知れないと信じたのだろう。

ファウスト博士(推定図)
〇北区飛鳥山博物館 ・・・ 「大河ロマン関係の特別展」があるそうですが、さすがに相手できないんで通常展示(JAF割引で240円)へ。

どこかで書いたと思いますが、渋沢が主人公になると聞いて「さすがはNHKじゃ、ヒロインが無数に造れるからな!」と口走ってしまったのを記憶しています。結局その問題は扱われていないみたいなので寂しいです。秀吉が文禄慶長の役をすっ飛ばしてしまうぐらい寂しい。

十年以上前?に来たときと展示替えがあるようです。種子屋の話とかそれなりにわかる展示になっていましたが、

・弥生時代の日常(種もみ泥棒?)の実写ビデオ

・豊島郡衙で江戸っ子みたいなしゃべり方をする奈良時代(大宝律令が「おめえのじいさんの時代じゃねえか」と言っている)の住民二人組が「お役人」を批判しているアニメ

とか、どういう人が作って、どういう人が了解したのか。問いただしてみたいぐらいです。

地下の常設展から昇ってきたところ。日の光が射す世界だ。この左手で特別展(「特別館」と呼んでいるみたいである)をやっておられる。

〇渋沢栄一邸跡地 ・・・ 「おみやげ館」とかアニメのイケメン渋沢とか、いろいろあって、わたしはこういう「歴史修正」に強い嫌悪感を持つんですが、じゃあ「焼き討ちでもするか」と言われてもする気はありません。

渋沢像。これはイケメン化はしてありません。このあたりに、洋館と和風建物からなる渋沢邸があったが、下の二件を残して空襲で焼けた。渋沢がこの飛鳥山に4000坪の土地の払い下げを受けられたのはなぜか、とか、情報公開大好きの現代のみなさんなら疑問持ちます・・・よね?

青淵文庫。「青淵」は渋沢の雅号です。

晩香廬(ばんこうろ)。大正建築の傑作といわれる小さな応接用建築物です。清水建設。なお、「晩香廬」とは「バンガロー」の訳で、この気の利いた漢訳は渋沢栄一自身がかつて自作の漢詩の中で行ったものであるよし。

〇七社(ななしゃ)神社 ・・・ 江戸名所図会にも出てくる神社です。渋沢や古河財閥が寄付してすごい社殿や神楽殿が作られたそうです。
なお、境内には貝塚があり、縄文後期〜古墳時代までの土器も出土。

古河財閥から資金を出して作られた孔子(みんさんから見て右)・孟子像。昭和3年のものらしいので、伝統的なボケとツッコミ漫才をイメージして作ったのか・・・と邪推してしまう。

飛鳥山博物館の展示物の中に、当時の花見弁当があった。

今日も昼抜き(11時ごろ起きてパン食ったが)の肝冷斎をあざ笑うかのように量的に満足のいきそうな大きさだ。肝冷斎が作る味無しごはんではなく、毒々しく美味そうでさえある。

11月3日(水)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

文化の日であるが、特に予定もないので調査する。

〇たばこと塩の博物館 ・・・ 押上にあるやつです。むかし渋谷にあったと思っていたが、2015年に移設されたとのこと。

これを見に来ました。杉浦非水は、黒田清輝からアール=デコの動向を教わり、大正時代の三越宣伝部などで「商業意匠」「ブランドデザイン」を日本に根付かせた「本来は」日本画の人です。福沢諭吉の娘婿の義弟に該たること、多摩美大の創立者であることなども勉強できました。「響」などタバコのパッケージデザインをしていたので、愛媛や三重の県立美術館とタイアップして今回の企画展となったもの。「少年すごろく」も作っています。

キミも銀座線に乗れる!

そのほか、塩の博物館もそこそこよかったが、たばこの方は◎レベルのすばらしい展示でした。中央アメリカ以来の歴史もすばらしいが、昭和のポスターや標語の変遷が近現代を見事に切り取っている。

南蛮貿易のガレオン船の向こうで「国分タバコ」の葉を刻んでいる家族の人形があります。奥さんがやたら美人なので「こんなカカアがいたらおれだってよお」と言いたくもなりますよ。

民営たばこ時代のかっこいい看板など。

三船敏郎が「好きなタバコだ、明るく吸おう」と呼び掛けてます。闇タバコ撲滅運動中。

〇すみだ郷土文化資料館 ・・・ 来たことがあるつもりでしたが、展示に全く記憶がなかったので、来てないのでしょう。

内部写真撮影禁止ですが、平安後期から中世にかけての近辺の地理の変化がわかって勉強になります。東京大空襲関係、特に体験談はキツイ。しかし、なぜ戦争批判はしながら対米憎悪が一言もないのか、表現に手を入れているのか、それほどに深くコントロールされているのか・・・。

〇三囲神社 ・・・古代からある、といわれると「本当か?」と思うかも知れませんが、このあたりは古代から河口で宿駅もあるので、神社があってもおかしくはありません。「俳聖・宝井其角の「みめぐりの句」で名高い」と書かれていますが、「俳聖」という言い方がホームデシジョン的で楽しいですね。

境内には多くの碑があります。「蒙恬将軍の碑」とか「少年俳優長の碑」とか、榎本武揚が書いているのとか、また三方鳥居とか老翁老嫗の石像とか、夜中に来たら混乱しそうである。

右の大き目のが老翁、左の小さいのが老嫗とのこと。其角が近所に住んでいたころ、キツネを寄せることのできるばばあがいた、ということが説明板に書いてありますが、そのばばあがこの像かどうか断定できないのに、関連させようという記述になっていて、捏造の気配がある。

幸田露伴・蝸牛庵跡。第一次と第二次があってこちらは第二次の跡、だそうです。左下にあるのはカタツムリの像である。

11月5日(土)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

加須に行ってみた。

〇花崎城跡 ・・・ 16世紀の中世城郭跡。古河城の支城の一つと言われているが、昭和50年代に発掘したら、後北条特有の畝掘りの空堀も出てきたよし。なお、このあたりは低湿地で、縄文以来の土器が出ている。

現在、東武線の南側の花崎公園(出丸跡と推定)と

線路北側の花崎城跡公園(本丸跡と推定)に分かれている。

〇加須未来館 ・・・ プラネタリウムとか天体観測室があります。

太陽系スマートボールとか肝冷斎レベルのゲームがあって楽しい。

〇川圦(かわいり)神社 ・・・ 利根川の堤防下にある水防神社です。

川圦(かわいり)さま伝承地。川圦さまは、貧しい巡礼の母娘であったが、利根川の堤防の人柱になってくれと頼まれて、ひとびとのためになるなら、と人柱になった人である、ということです。納得づくならよかったね。

付近の利根川。

〇大越稲荷塚古墳 ・・・ 周辺に古墳群があるようである。

伊奈利神社。大越のほか、周辺の村に同名の神社がある。

〇永命寺古墳 ・・・ 羽生市に入りました。5世紀末〜6世紀初と推定される80m級の前方後円墳。

南西方向10キロほどにあるさきたま古墳群との関係がいろいろ考察されている古墳です。さきたま古墳群を経営した首長グループが弱体化したあとの後継首長墓かも。

永命寺の石仏群。突き当りの茂みが古墳。

前方部から後円部の薬師堂方面を望む。途中に仙元さまの碑などあり。なお、この付近の地名は「村君」である。

久しぶりで古墳に行ったので心がよくなった気がする。

11月7日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

娯楽ついでに明治神宮へ。

鎮座から100年、本多静六らの目論見どおり、極相森林になってしまいました。わたしが上京してきた40年前に比べても格段に森が暗くなり「鬱蒼」として神威ビシビシたるものがありますね。

令和元年開設の明治神宮ミュージアム。御祭神二柱のお手元品など展示。明治天皇はコジキや日本書紀を福羽美静から教わってるんですね。

水も神火も神人も神なれば今もまことは神世なりけり 福羽美静

以前この歌を読んで意表を突かれた。

菊もやってました。

まだ陽があったんで、帰りにここでお茶飲んで帰る。

11月13日(土)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

所用を封じられ、調査するしかないのだ。

〇さいたま文学館 ・・・ 桶川にあります。

ここも万葉集から始まる。グーグルの写真では企画展「将門伝説」をしているように見えたので、将門派として行ったのですが、全く形跡なし。何年か前に「伝説錦絵」をやっているらしいので、そのときの写真なのカモ。

しかし、@埼玉出身の作家、A埼玉に住んだ作家、B埼玉を舞台にした作品を書いた作家、が、さいたま文学、というのも如何なものか。「文学館」は難しいですね。また、今回企画展で「旅する文学」という縛りで、明治〜昭和戦前の観光案内型紀行記(大町桂月など)はまあいいとして、与謝野晶子・若林牧水の鉄道会社や観光会社招待型宣伝文作成を「旅する文学」とは何事か。アンケートで学芸員さんに指摘し、「憂慮」しておいたけど、読んでくれるかなー。

〇桶川宿 ・・・ 塩あんびん(かなり塩味の強い大福みたいなやつ※)を食って歩いてみました。

深谷が「暴力の街」であるように、桶川は「ストーカーの街」のイメージが強すぎてなかなか来なかったのですが、今回はじめて散策した。中山道宿場町、紅花の集積地としても名高い。

島村家土蔵。中に江戸期の資料があるようですが、無理に見せてもらう必要もないかなあ。

本陣には和宮さまや明治天皇がお泊りになったとのこと。これ以上は公開日以外は入れません。

桶川生まれ、日本最初の女性農学博士・辻村みちよの顕彰碑。最後に住んだ豊橋にあったのを持ってきたんだそうです。

※塩あんびんは、NHKでチコ(敬称略。以下同じ)に紹介されたということである。チコは宿敵の一つである。「三才の女のコに叱られる」というキャッチフレーズなので三才の女の子にアンケートしたりしたのかと思ったが、単に、番組の怒りっぽいメインキャラが三才の女の子という設定、というだけである。みなさんは、三才の女の子、ではなく、NHK下請けの制作会社に叱られているだけ、なのを認識している・・・と思いますが、それでなおニヤニヤして見ていられる精神力が、わたしには無いなあ。←11月14日、有識者より「チコは五歳」との指摘あり。

11月14日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は群馬県太田市へ。

〇曹源寺栄螺堂 ・・・ 曹源寺は11世紀、新田家初代義重の創建と伝わる。栄螺堂は18世紀末の建築。中には秩父、坂東、西国の100観音が祀られています。

日本には六つの栄螺堂があるのだそうで、そのうち、埼玉・本庄、福島・会津、それとここにあるのが「日本三大栄螺堂」だそうです。

廃仏毀釈の傷跡も遺りますが、平成の修復中に壁から墨書落書きが大量に発見され、原型のまま保存されています。名前とか屋号とか、あとは日時が書いてあるだけですが、実に興味尽きない。ちなみに入館料300円で、写真撮影はダメみたいですよ。

六字名号碑。鎌倉時代の時宗系のものではないかと考証されているようです。

〇新田金山城 ・・・ 日本百名城です。国指定史跡。

左端あたりが駐車場、右端の新田神社まで600mということですがもっとあるかも。武田、上杉らとの戦歴赫々たる歴史に加え、関東の山城ではほぼ唯一といわれる「石垣城郭」です。

上の地図の真ん中上ぐらいに当たります。「馬場下道」。このままこの石垣の間を進むと、左手の馬場曲輪から狙われ、しかも最後は行き止まりになるという仕組み。

本丸虎口直前にある「月の池」。泥濘のくぼ地、と認識されていたが、発掘調査したら底部に石敷きがあり、16世紀の水場であることが確認された。この城、水が豊富で、逆に降雨の後の水を流すための施設も設けられている。

本丸虎口。北条様式の「玉石詰め」となっています。

本丸内の「日の池」周辺では平安期の祭祀用品が見つかっているらしいので、山岳密教系の霊地として早くから開かれていたものとみられる。この「日の池」は、戦勝などの儀礼にもつかわれたということで、なにしろ中世ですから、本佐倉城でもそうでしたが、宗教的儀礼の場が城の中にあるんです。あれ? 沖縄のグスクと同じでは? みんな倭寇なの?

日の池の横を通って御台所曲輪を経て、「本丸」である新田神社に到着。明治六年の創建です。この「本丸」は東北面を崩した「鬼門除け」がなされている。

新田神社拝殿横にあったご歴代の「腰掛石」。みなさん御登りになって、関東平野を一望しておられるのだ。右から大正天皇、秩父宮、昭和天皇、高松宮、三笠宮さまの、です。

本丸裏の「石垣残部」。このあたりは「裏馬場」で、山城でも馬は伝令として使われるため、寄せ手の声などの聴こえづらい裏手に馬小屋を設けていたもの。

これは西方向。下野方面。別の方向には赤城や妙義がよく見えた。

山麓にあるガイダンスセンターです。新田氏、岩松氏、横瀬氏などの歴史がわかるよ! 設計は「隈研吾設計事務所」と書いてありました。この間亡くなったさいとうプロのさいとうたかをさんみたいに隈先生も「ゴルゴの目だけ描く」んでしょうか。

 

11月28日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まずは〇小石川植物園に調査へ。

カッコいい食虫植物だ。あの中でどろどろと眠りたいものである。

トリカブト属のみなさんだ。毒性があるのは遺伝子が28対の方か26対の方かどちらかだけだそうです。わたしの前に見ていた年配の女性が、すごく熱心に写真を撮って、メモしていたのが気になりました。

森にあった美味そうなやつ。マムシグサというそうですが・・・。少し食ってみるか・・・。

もみじです。肝冷斎1号が森から戻ってきませんので、次に行きます。

続いては調査というよりは「娯楽」ですが、渋谷区文化総合センター大和田伝承ホールにて、

〇淡路人形座公演「伊達娘恋緋鹿子」より「火の見櫓の段」、「日高川嫉妬鱗」より「天田堤より渡し場の段」

を鑑賞させていただきました。

人形自体が異世界と行き来するヤバイ存在ですが、その人形が(人形師と太夫のおかげで)意志を持ってキレまくって、半鐘打ったり、振袖で川に飛び込んだり、異常な振る舞いに及ぶのです。コワかった。暖房効いているのに背筋がぞくぞくするのですが、渋谷のみなさん(年配のひと多いなあ)は怖くないんでしょうか。

この女がブチ切れる八百屋お七だ。

えびすさんの遣い方を教えてくれています。えびすさんは「方向性」があるから人形一般の持つ無指向性、すなわちどんな魂でも宿ってしまう虚無の闇が無いのであまり怖くないです。少しはコワいが。

この後、勉強しに行く。この年になっても、人生常に勉強、勉強じゃて。

 

12月5日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

社会勉強を中断して陽のある間は外に出ようと、調査しました。

〇江戸城、皇居三の丸尚蔵館 ・・・ 尚蔵館は建て直しで、来週までの「いとをかし展」が終わると次は再来年の春まで閉館です。

平川門。

本丸休憩所にある2メートルの寛永度天守模型。姫路城の天守より一層分高い、というのだからすさまじい高さである。

尚蔵館。

本丸公園、大奥跡地あたり。大番所裏の紅葉。眼福である。

〇国立近代美術館 ・・・ 「民芸の百年展」を見る。

民芸の現在は「美術」と「工芸」と「料理」だ、と言われると、どうもなあ。お役所の地域おこし・・・。

「民芸」は白樺とかアーツ&クラフツとかの流れで、わたしどもとは縁遠いインテリの方々、ハイソの方々、和服を着こなす方々、ちゃんとした本を読む方々・・・が取り巻いているというイメージでいましたが、今回、柳宗悦らの動向を1900年代から10年刻みでみていく展示になっており、この中で、1920〜40年頃の動向は、朝鮮、沖縄、東北、アイヌ、台湾・・・と、「自分たちの足」で観に行って発見してくるのでワクワクしました。地図を加工するのが好きなのも親近感あるなあ。

しかし、東北救済の昭和前期を経て、現代に至ると地域おこしと一体化してしまって、お役所や文化人と仲良くやってるみたいなので、ワクワクしないなあ。

柳の京都時代?の書斎。ここだけ写真オーケー。

ワクワクするかも知れないので、再び社会勉強に向かう。

12月11日(土)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大宮の盆栽村に行ってみました。ワクワク。

〇大宮盆栽美術館 ・・・ 40年ぐらい前に、

「人間の興味は、人間(恋人や妻子)→ドウブツ(イヌ・ネコ)→植物(盆栽)→鉱物(石)と移り変わっていくのじゃ」

Sさんという人に教えられたなあ。ちょうど植物の年齢に来ているので、勉強に来ました。今日はジンとシャリという用語を覚えました。

庭は写真撮影オーケーです。吉田茂所有の盆栽や樹齢350年ぐらいのが外に飾られています。一番古い所蔵盆栽は樹齢1500年ということですが、さすがに目に触れるところにはありません。

この五葉松のかっこいいので350年ぐらい。

〇盆栽村 ・・・ 東京都北区関係者としては一度は来てみたいと思っていました。関東大震災後、巣鴨・駒込の園芸師が移住。一般住民も、盆栽10盆以上を持つこと、とか、塀ではなく生垣にすること、などの協定を結んでできた美しい町である。

盆栽公園。ただの公園なんですが、なんと美しいのであろうか。

休憩所の庭。

これはもみじ通り。カネ、カネ、カネの日本に、こんな街づくりをしてきた人たちもいるのだ。

〇漫画会館 ・・・ けやき通り沿いにあります。東京パックの「ポンチ絵」→「漫画」の創始者として、岡本一平らを指導し、日本文学史(漫画分野)に燦然と輝く北沢楽天の隠棲所「楽天居」が市に譲られて、楽天関係資料の保存・展示と、さいたま市のまんが振興を行っています。

楽天は東京出身だが、北沢家の本貫(出身)は元岩槻大田家臣で、岩槻大田氏滅亡の後、大宮宿にて帰農したのだという。

楽天最晩年の書斎。もともと日本画の人なので、最後は日本画を描いて悠々自適であったという。

なお、楽天は、明治・大正期には何度も出版差し止めを食らっているが、1940年代には翼賛漫画会の会長を務めた。戦後すぐにこの地に隠棲せざるを得なかった理由の一つであろう。

〇百体庚申さま ・・・ 盆栽村のはずれにあります。近所の新見氏が、庚申の日ごとに一体づつの庚申像を収め、見事百体の満願に至ったもの。60日に一回だから、十数年かかっています。

産業道路脇。

中をそっと覗かせていただく。

〇埼玉県立博物館には(今回も)数分後れで間に合わず。係の人に如何にも高齢者らしく「16時までに来たことにしてくれませんかのう」とマジメに頼んでみましたが、もちろんダメでした。申し訳ありませんでした。

12月12日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

午後から出かけました。

〇鷲宮神社(わしのみや)神社 ・・・ 土師(はじし)の宮の転訛とも言われ、関東最古、とも、日本最古、ともいう神社なので調査してみました。境内地は利根川沿いの低湿帯の比高地にあり、縄文時代以降の各時代の遺跡が出ていますので、日本最古カモ。関東に入った出雲族が最初に祀った神社なので、延喜式神名帳や六国史には出てきませんが、関東最古なのカモ。秀郷流藤原氏の大田荘の総鎮守として、鎌倉期には幕府から鶴ケ岡八幡に次ぐ扱いを受けているので、13世紀以降は記録が遺っています。なお秀郷流藤原氏といえば、久伊豆神社を祀る中世武士団・野与党が有名ですが、彼らは大田荘の藤原氏からの支族だそうです。

境内地は如何にも武蔵野らしい林に覆われています。そして如何にも関東の冬らしい青空だ。ハレバレする。

18世紀半ば、寛保二年に長州藩が幕命により利根川堤防を修復した際の記念碑。

鷲宮といえば、江戸神楽の元になった「鷲宮催馬楽神楽」で有名で、こちらはまさに関東最古。写真は郷土資料館の「猿田彦」。

神楽殿の絵馬。上皇陛下もノルウェー国王とともにこれをご覧になられたそうである。

太太神楽の碑と力石。

〇粟原城址 ・・・ 中世鷲宮神社神官の大内氏の居城。はじめ古河公方、後に北条の配下になったようです。

この祠のあたりが城址であるということだ。中央あたりの繁みは鷲宮神社。

〇久喜市郷土資料館 ・・・ 栗橋、久喜、菖蒲など四市町が集まって久喜市になったんだそうです。祭礼、利根川水害(カスリーン台風)、利根川渡し・栗原関、神楽(白石国蔵による戦後の復興など)、中島撫山(幕末・明治の漢学者・教育者。幸魂(さきたま)教舎主宰。「中島敦の祖父」というのが一番通りがよいのであろうか)、神道無念流、本多静六(菖蒲の生まれ)などの展示あり。らき☆すたについては展示がありません。

昭和22年9月15日夜半の天気図だそうです。この夜午前0時ごろ利根川決壊、翌日正午ごろ、その水が久喜一帯の低湿地を浸し、翌日には埼玉を越えて東京都内にまで達した。死者とか行方不明者より、関東地方の浸水家屋約50万戸(被災者200万〜300万)というのが途方もない。

七月の久喜町鎮守・八雲神社(天王様)の提灯祭。この絵馬は明治30年のものです。神輿は現物が遺っているが、上の鳳凰の飾りを落としてくるなど激しい扱いに遭っているということである。天明飢饉の際の世直しに始まった祭とのことで、民衆の激しい不満がバクハツするのであろう。

久喜は真夏を中心に各村落で三頭獅子舞があるそうですが、これは西大輪の獅子。三頭のほか、おどけ役の「陸獅子」(おかじし)が二面出て先導する。

来年はコロナ撲滅と予測されますので、祭り観に行きたいですね。

12月18日(土)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんでこんな所で時間つぶしてるのか? と合理的な方々には理解されまいが・・・

〇豊崎水族館シーアス ・・・ ドウブツ・魚類の名前や解説がどこにもなく、スマホで情報を取る、という仕組みになっている水族館、ということですが、肝冷斎のスマホでは取れず(水族館の人の指導を受けたのですが「これはムリですね」と同情ではなく嘲笑)、まあでも普通に魚見て帰ってきました。解説読んだって別に心に刻みこむわけでもありません。

この水槽は上からも横からも下からも見れます。エイの一匹がどういうわけかわたしを個体として認識したようで、どこから見ても寄ってきました。前世の御縁かも。なうなうだー。

変な魚類や爬虫類を覗けます。名前わからんけど。

これは有名なクラゲの柱の間。なかなか写真では伝えられないピカピカさです。一度行ってみてください。空港から直通バスあり。ただしそこそこ高い(涙)。

〇豊崎干潟 ・・・ 渡り鳥がたくさんいました。

ヒルギも生えてるなあ。

〇伊良波(豊見城)収容所跡 ・・・ 昭和20年6月〜8月ごろ、南部戦線で米軍が設けた選別用の収容所。軍人と民間人、負傷者などをここで分類して、中部以北の収容所に移管したそうです。収容所の写真を見ると屋根も壁もありませんが、タバコ吸ったりしてますね。


〇伊良波の上御嶽 ・・・ 夜来たらコワいと思います。

畑の間の道を登っていくと、ウタキ空間があります。まだこのあたりのウタキには神威があり、怒られたのか、帰りにホントにころんと転んで足を挫きました。

このほか、伊良波のみーうたき(新御嶽)、ウフガー×2,ウエガーなども観察した後、クリスマス用品を所用先に届けて、タンタンと帰ってきました。ちなみに届け先でAWのルートビア無料券(一月中有効)を大量にもらったので一月中は困りません・・・が、来ないと使えない。

これだけ見ると温かそうですが、さすがに寒いですね。15度ぐらい?

12月19日(日) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

来週末は仕事っぽいんで、こういう公的な施設は今週が今年は見納めか。

〇消防博物館 ・・・ 放火事件もあるので一度観に来たかったんです。ここも四谷消防署との雑居になっているようですが・・・(こういうのは雑居とは言わないのかも)。

右側の看板みると「四谷大木戸門」と書いてあります。こういう遊びはいいですね。

江戸火消の旗印が並べられています。

近代消防の展示は現在入れ替え中で入れません。隙間からかっこいい消防馬車の写真を撮った。

かっこいいといえばこれだ。大正14年にメッツ社製の消防車を輸入。こんなのに乗って東京を乗り回してみたいぜ。

写真どれだけ撮ってもいいというので、がんがん撮ってきました。ほかにもベンツ製のはしご車もあった。がんがん乗り回したいぜ。

〇新宿区立新宿歴史博物館 ・・・ 十年ぶりぐらいですが、昭和初期の遊興地の展示は見ごたえというか興味がつきない。

ただし写真撮影場所が限られているので、興味が尽きないところの写真はありません。これは江戸時代の内藤新宿の宿場町。

新宿のお菓子屋さんの明治ころの様子。「わっぷる」というお菓子もあります。うまそうです。

ああ勉強になったなあ。もっと勉強したいなあ・・・だが、明日からはまた平日である。

12月29日(水)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は休みがもらえたが、寒いので午後出かけて三ノ輪へ。

〇三ノ輪商店街 ・・・ お年寄りが多いなあ。

商店街裏の弁天祠です。かつてこのあたりは伊勢亀山藩の藩邸で、弁天様を祀る池があったという。そこに昭和期に弁天湯という銭湯があり、その銭湯の女湯に祀られていた弁天像が、いま遺されて道端に祀られているのである。ちょっときついけど、かなり美人。・・・などと評してはいけません。わしはそんなルッキズムの劣った思想にはとらわれていないのだから。

〇旧千住絨工場跡地 ・・・ 明治初年に羊毛から毛布を作る絨工場が作られた。

初代場長・井上省三(長州)の胸像、羊毛工業の碑、井上の顕彰碑が立つ。井上はドイツ留学等を経て日本に羊毛工業を持ち込んだが、工場長在任中に四十二歳で死去。わしの三分の二ぐらいの歳じゃ。その歳ででかい顕彰碑を立ててもらえるとは男児としてシアワセといえよう。・・・というようなジェンダー思想には囚われてはないんです。「男児として」は削除。

なお、背後の荒川グランドは、少年野球の名門中の名門・荒川ボーイズの本拠地である。ちょうど試合やっていたがみんなガタイがデカイ。ほんとに中学生か?というぐらい。

旧絨工場のレンガ壁。「東京スタジアム跡地」の看板もある。

〇若宮八幡社 ・・・ このあたり、荒川渡河地で、源義家が渡河の目印に白旗を立てたという伝承があるそうです。

小社だが、欄間の彫刻など見事です。スサノオノミコトがかっこいい。裏手の石欄に寄付者の名前が刻んであるが、絨工場の関係者の名前が削ってあった。おそらく戦後のGHQ対策か、個人的怨恨か。こういうのは「廃仏毀釈型文化運動」と名付けているんですが、その証拠として遺されるべきものと思います。イヤミとか皮肉でなしに。

〇千住お上がり場 ・・・ 千住大橋のたもとにあり。

江戸期に将軍、参勤交代大名、そして最重要だったのは輪王寺宮(日光、東叡山、比叡山の三座主を兼ねるというすごい霊的地位であった)の日光参宮などに際して、舟を降りられる場であった。

これは仙台藩第十三代藩主・伊達慶邦さまがお上がりになられて駕籠に乗られたところだそうです。西郷さんみたいですね。

〇安藤昌益「自然真営道」稿本発見の地 ・・・ 北千住の街にあります。

最近は安藤昌益のこと言わなくなりました。この国の言論空間においては。もちろん地域や草の根や普通の人の心にはありましても。

今年の調査はこれでそろそろ終わりかな。

12月30日(木)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まだ終わらぬ。今日は親族と食べ放題に行く前にも、貪欲に調査だ。

〇氷川女体神社 ・・・ 大宮の氷川神社とセットで式内社である。

手前の赤い欄干は見沼西代用水にかかる。

「女体」の語感にニヤニヤされる向きも多いか、と思いますが、もともと御沼(みぬま)であった見沼湖を取り囲んで、大宮氷川、氷川女体、氷川若王子の三社(「三室」という)があったが、17世紀に徳川が見沼をせき止めて用水池とし、さらに享保年間に見沼を埋め立てて水田を開いたのである。この際、女体神社の申し出により、見沼の主であった龍の祭祀を続行させるため、女体神社の社前に池とその中島を残した。

巌船祭祭場。この中島で四本の榊の間で執り行われる(今は五月)のが「見沼巌船祭」(埋め立て以前は「御船祭」で舟によって神体の渡御があった)である。なお、見沼の龍は干拓とともに天上に帰った、という伝承になっているそうです。

女体神社裏の社叢。いくつかの小祠があるが、「もののけ道 声をかけられても振り向かないように」という注意看板があり、深夜に来たら恐怖のために白髪になるであろう。

社前の見沼公園にある「案山子像」。案山子像のアルカイックなほほ笑みも、深夜に来たら白髪にするであろうほどに気味悪い。ここは「山田の中の一本足の案山子〜」の「案山子の歌」発祥の地なんだそうです。それにしても、一番「・・・歩けないのか、山田の案山子」二番「・・・耳がないのか、山田の案山子」とすごい歌詞である。

いよいよこれで終わりかな。

12月31日(金)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もはや執念である。海が見たくなって逗子へ。

〇逗子海岸

寒いですね。

〇名越の切通 ・・・ 通ってみます。30年ぐらい前に通ったときはすごいコワいところだった記憶があるが・・・。

第一切通し。鎌倉時代はここからぐぐっと上がって、かなり高いところを通っていたらしいが、室町期にこれぐらいまで切りとおされたようです。

まんだら堂やぐら群。実はここのところにフェンスがあって、12月中旬から来年4月まではこれ以上入れません。ヤバそうなところなのでここでストップでちょうどよかったカモ。

ここが最高部。鎌倉側から見たところ。このあたりかなり心理的にはコワいものがありましたです。

しかし、30年ぐらい前に比べるとたいへん歩きやすくなっており、ヤバさはだいぶ衰えた感があります。

わーい、もう日が暮れます。もう来年になるよー。

 

次へ

inserted by FC2 system